パンを焼くってどうゆう事?

〜人が忘れてゆくモノ〜

人ほど生きる方法に変化の多いい生き物はいないのではないかな。多少の変化はあっても動物たちは同じような生き方をしていると思う。

人は道具・家・食・見える世界・行けるところ、

様々な変化があると思う。その中でも今じぶんが気になっている事、これからも気になってゆく事がある。

食と見えない世界の融合した発酵文化。

その昔は見えない力での発酵は神の所業と言われていた事もある。経験からアレをこうすると美味しくなる事を学び、    発酵という食文化が広がっていった。各家庭でもパンを家族総出で小麦の収穫からして焼いていた。集落単位でも焼いていたと言う事も聞いている。日本で言えば味噌作り、漬物などがそうであると思う。

人の住むところに、菌も住むと言う事があたりまえであった時代。

ここが一番大事なところで、菌同士のコミュニケーションは    取り付いている依り代を守るバリアのようなものを作る。          他の菌・ウイルスを侵入させないように、力を合わせる。         それが今の世では発酵物を家で作らなくなり菌も減り、       見えなかった微生物の世界が見えるようになり、除菌しなくてはいけないと思わされている。除菌ブームで共存していたわずかな菌も消されていっている。

そこを頭に入れながら昔はあたりまえであったやり方で

パンを焼いている。

〜〜あたりまえのパン焼き。〜〜

パン文化の家庭であたりまえに焼かれていたパンの焼き方。

家族のことを思い手間も時間もかけた、パン焼き。

家庭と自然の循環の中にあるパン焼き。

自然の恵み、近隣の小麦粉と湧き水で仕込み

酵母も家の中に代々住み続けている酵母で発酵。

木を切り薪で石窯を温めパンを焼く。

石窯から出る消し炭、灰は生活に使われてゆく。

その石窯の使い方は代々伝承される。

石窯を上手に使える様に、母から娘に教えられる。

なかなか手を出させてもらえない、神聖な場所。

日本の竃も同じ様だと思う。

日々の感覚と経験でしか習得できない技。

そんなあたりまえにあった、でも今の世では

あたりまえでなくなったパン焼き。

そんな事をしながら商売用のパンを焼いている。

伝えていきたい事があるから、焼いている。

日本人なのにパン焼きを。

なんでかな〜〜