田舎と都市

〜田舎移住から気がついたこと〜

団地暮らしの長かった自分は、   

20歳の頃から田舎に住み始めた。

田舎は自然環境が厳しく、人と人の繋がりで暮らせいていた。

都会はその自然から距離を取ることで脅威から身を守っている。その都会は田舎の生産物に頼っているがその実態は、商品となっていて見えてこない。

海の近くでは大雨・停電・浸水はよくあることで、皆慣れたものである。

停電すれば家の発電機をつけ、発電機を必要としない家庭では暗くなれば寝ます。台風が来れば船を陸に上げ、

浜に打ち付ける大波に対処するべく皆で波除の板を設置する。

山の中では近所のお爺さんに聞くと、皆で竹を割り今年はあの家の瓦を作ると協力し、冬になれば各家に集まり今日はこの家の草鞋を一年分

明日はあの家の草鞋を一年分といったように集落で協力して稲作をして

暮らしの手伝いをして生きていたと言う。

都会ではほとんど無かった隣の家との夕飯の交換に出会ったのは

23歳から住み始めた沖縄での事。

隣の家の裏窓から夕飯が届けられた。

作りすぎたからこれ食べない?

ありがとう〜

などと繰り返す。

それは親しみやすい反面都会の人には煩わしかったりする。

昨日は何時に帰ってきたね!

どこ行った?

どこ行くと?

何しとるね〜〜

などと事細かに情報交換が行われる。

だから夕飯も時間ぴったりに届けられたりする。

大根が玄関にドンと置かれていたりもする。

猪肉も回ってきたりする。

これらは全て地域で協力して生きてきた昔からの知恵の名残であって

今でも最大の防犯だったりする。

昨日知らん人が歩いていた!などの情報も朝いちで入る。

どこかで目が光っている。

ほとんど情報のない地金屋なども「今日ここに来てるよ」

などと教えられたり、「あの家が捨てたい金属あるぞ」などと情報が広まる。

電話せずに地金屋が来てくれて要らないものを持って行ってくれたりする。

これらはネットでは出てこない生の生きた情報で旬が短い。

その場その場で生きている。

人と人の中でしか行き来のない情報・エネルギーなどがある。

都会では個人でなんでもすることが出来る・・・様な錯覚に陥る。

ネットでの繋がりでなんでも出来ているような気がする。

と言うより、ネット上の情報だけで済む程度に環境が整えられていて

柵の中にある園の様な物。

必要なものだけ園の外から取り入れ代わりにお金を渡す。

一見完璧に見える園も底力がなく、園の外からの供給が途絶えると

自給出来ずに困る。

人は自然との距離が出来るほど個で動く様になるのかも。

水ですら町から市から援助のない集落もある。

皆の力で飲み水を供給している。

個で生きたい人は都会で生活する方がいい。

今の田舎で昔からのルールに疑問を持っている人もいる。

しかし何か昔のルールにも必要を感じて、変えるほどの動きは見せない。

その理由として・目には見えないけれど必要性も感じる・ただ惰性で続けているのに疑問はあるけれど・先人先輩の意見に中々逆らえない・などなど。

田舎という湖に石が投げ込まれ波紋が広がる。

この石が田舎に都会の感覚を持ってくる人々。

その田舎の湖は一点で支えられた、そこの丸い容れ物の様な中にある。

石が投げ込まれると石の重みで傾きバランスを取るべく揺れる。

揺れることで波紋はゆらゆらと続いて行く。