糸島で。

年末から糸島へ行き発酵友人を訪ね、甘酒を頂き楽しいお話をしていました。
発酵話しに花が咲き、あっという間に4時間。
発酵マルシェにもお誘い頂き4月が楽しみです。

発酵に特化したマルシェ。
発酵を大切にしたい人々が集まり交流して発酵してゆく。
そんなマルシェはしたいと思っていた。
そんな場所も作りたいと思っていた。
今回の糸島の方との交流により、これからの指針がはっきりして来て
仲間も増えそうです。

昨日はナント糸島の牡蠣小屋に行き牡蠣三昧!

久しぶりに炭火で焼いてプルンと食べる牡蠣でした。
生のレモンを持っていけばよかったです。
なかなか面白く、飲み物持参オッケーと言うのが素晴らしい!
鍋持参の方もいて、酒蒸しをしていた。
ウチは日本酒を持っていき、クイっとやりながら幸せな時間でした!

次はうちのパンを持参して来ることを決めました。
なんせ牡蠣のアヒージョがあるのだから。

石窯とともに過ごす。

年末が近づいて来ています。

楽流のシュトレンを焼くのであたふたしていますが、            
毎年少しづつ流れに慣れて発送と出荷の両方がこなせています。

石窯を温めつつ成形をするのって結構気を使う。

二時発酵の時間と石窯の温め時間を合わせながら作業をしないと発酵が終わっても焼ける温度でない!って事もある。

夏場に多いい失敗だけれど、そこも逆算で作業を素早くできれば出来てくる。ただ石窯の火加減を気にしながらなので常に気配りです。

石窯の加熱時間は今の窯で3時間必要。

2時間経過した頃に、ピザパンを焼いていく事も慣れ                   いい感じです。

そんな五感をフル活用・石窯ワークも してみたいものです。

☆らくる☆

ただなんとなくしている事

生きてて、ただなんとなくしてる事って結構ある。

意識してみないと知らないうちに周りに作られた価値観や      外にどう思われるかを最優先して生きているうちに自然と   なんとなくやっていて生きていたりする。

 

それが嫌で情熱を燃やせる生き方をする!  と、その時の衝動に素直に従って長野の山の中へいくべく家を出た。

 

でもやりたい事って頭の中にあるのか、心の中にあるのか   わからない。心と言っても衝動の様なものは何?ってなる。        欲求みたいなもの。これは頭だったり習慣だったりする。    見極めがむづかしくないかな。胸の中がワクワクして楽しくなるって良く言うけれど、熱くなることだってある。

でもそれって結構衝動に近いものだったりする。

 

ただ、今わかりやすい体験としては仕事が始まったら            飲んでいたコーヒー・焼きたてのパンがあるから食べていた毎日。2017年から長い夜お酒を飲む習慣がつき、そんなに飲みたくなくても     呑まないと落ち着かなかった毎日。

 

ある日久しぶりの熱が出て38度は軽く超えて2、3日経ってから。腹下しが丸一日。それからもしばらくただなんとなく過ごそうとしても、呑めない・胃が痛い・背中が痛い。これは腎臓が痛がっているなと思いカラダの声に気をつける様にしました。するとお酒は全然呑まなくても平気になり、コーヒーも本当に飲みたい時だけ飲む様になるのです。習慣で飲もうかと思うのですが、ちょっと中に聞いてみるとそんなに欲しくないって感じる。たまに飲むと、まあ今までの味と別物❗️とっても香りも感じるし美味しい!ただ慣れでやっている事って感動がなくなってくるんですね。

 

ただ職人は毎日毎日おなじもの作って繰り返しの中にしか見えない真実を見つけたりする。そこから新しいものが出てきたり、そこを経なければ辿り着けない場所もある。                 でもこれは、ただ何と無く慣れでやっていると気がつかないよな〜。やっぱり今を意識して生きるって大切なんだな。

 

 

そこでこの地球に生まれて生きている今、ただ何と無く生きていることに慣れてしまっていたら意識してみる。

本当に心から生きたい生き方してるかを。

☆らくる☆

冬到来・大嘗祭で思う事

寒くなりました〜

車の窓ガラスやバケツの中の水が凍り始めました!

冬のシュトレン作りを前に千葉の父のお墓参りに行ってきました。はじめの3日間は快晴で、雲ひとつ無い暖かな天気でした。

いい夫婦の日から雨模様☔️多くの方が籍を入れたようです。

皇居の見学にも多くの方が訪れ、大嘗祭の建物を見学していました。12月の頭まで見学できるそうです。雨の中多くの警察官が誘導してくださりスムーズに流れていました。

建設費がどうのと反対の方々が抗議しているのをテレビで見ましたが、萱の生垣・壁の見事な作り。杉ではない原木の曲がりを見事に取り入れたり鳥居の美しさ。建物の建築の仕方。

全て作らなければその技は時間の中に消えて行ってしまうものばかり。それらを無言の中に再現し次世代に繋いでいく素晴らしさを感じました。人が多くゆっくりは見れませんでした。それでも大切なものを感じざるを得ませんでした。